●年表


1969年

 

この年表(1969年)は明治大学新聞(昭和44年10月16日号)に掲載された「バリケードストの事実経過」を参考に作成したものです。

    
年月日事項大学側の動き学生側の動き
4月12日 日大生を追って機動隊が駿河台本校学生会館に乱入・日大デモとなんら関係のない本学生が多数、不当逮捕される。126名逮捕 本学学生への暴行・不当逮捕に抗議活動を始める。   学生会・学苑会中執の委員らは松田学生部長に大学の対応策について説明を要求
4月13日 全教職員集会が開催される。不当逮捕事件の抗議方針について意見交換。学長名で抗議文を発表。機動隊の不法乱入・不法逮捕に強く抗議   
4月14日 全学授業休講、弾劾集会・学長団交開催  学生会・学苑会中執主催の弾劾集会が記念館講堂で開催され、全学一致の抗議ストと集会を要求。2000名参加。
4月15日 前日に引き続き弾劾集会・学長団交開催  学生会・学苑会中執主催の弾劾集会が記念館講堂で開催され、30日の連合教授会団交を確約させる。3000名参加
4月16〜18日 機動隊の学館乱入・不当逮捕に抗議して闘法連の3名がハンバーストライキ    
4月25日 連合教授会開催、臨時学生大会開催連合教授会の席上、文部次官通達に対して、警察権の行使に際しては、 大学の自主的判断を尊重する慣行を守るべきである、とする学長声明を発表。連合教授会としても、通達は事実上、大学の自治を破壊するものである、とする声明を採択。  学生会中執主催の臨時学生大会が記念館講堂で開催され、26日から3日間の全学ストを決定
4月26・28日 全学スト  本校、和泉地区でバリケード構築
4月28日 4・28沖縄デー  都内各地で反代々木系学生・反戦青年委と機動隊が衝突。約1000名逮捕。明大前通りでは社学同・中核派と機動隊が衝突
4月30日 連合教授会団交開催大学側の見解は次の通り。@「答申」についてはまだ検討中だが、大学に不当な干渉があれば反対する。 A教職員と学生とはともに学生自治の担い手であるが、大学の本来的機能は研究・教育が中心的な要素を持つため、教授会の自治はおのずから学生の自治とは同質のものではない。  中教審答申について、大学当局の見解、大学自治についての見解などを要求
5月12日 学苑会と連合教授会の団交開催大学側の見解は次の通り@中教審答申が大学の自治を外から侵害するものであれば反対する。 と同時に内部で研究・教育の自由を破壊するものであれば、これも大学自治の侵害である。B大学の教育は学生に判断力、批判力を養うということに役立っているのであって、国家権力に迎合、奉仕するものではない。  「中教審答申粉砕」「大学の帝国主義的再編粉砕」「学生の弾圧機関学生部粉砕」をスローガンに教授会を追及
5月15日 学苑会定例学生大会開催  炭谷委員長再選
5月16日 学生部と新寮闘争委員会の団交開催大学側は学生の求める入退寮権を、@経済的理由のみによって選考するA3時間以内の通学可能者は除く B選考の結果を大学に報告するC大学の寮規定ならびに同細則は話し合って改訂する、の4条件のもとで学生側にゆだねることを明らかにする。  新寮闘委は、条件を付けること自体が学生の自治権の侵害であると主張。堀切新寮の単独開寮を辞さない旨を宣言して団交は決裂。
5月17日 中川学長、大学立法に反対声明中川学長は15日に発表した「中央教育審議会の答申に反対する声明」文を携えて坂田文部大臣に会見し、大学立法の企てを中止するよう要請   
5月20日 学館乱入・不当逮捕事件について常勤理事会開催4.12学館乱入、不当逮捕事件で神田警察署長、当日の機動隊長らの告発を決定   
5月21日 学館問題に関する対理事会団交開催  管理・運営権をめぐり議論は紛糾。学生側は全共闘運動による実力闘争を宣言。同時に6項目要求(@学生部廃止A処分撤回B寮の完全自治権獲得C学館自主管理 D農学部再編闘争勝利E健保赤字大学側前面負担)を掲げる。
5月23日 大学立法抗議集会大学立法に反対する教職員の抗議集会が開かれる。  反代々木系学生約3千名、明大記念館で抗議集会開催後、明大通りにバリケードを築き機動隊と衝突。37名逮捕。
5月27日理事会・連合教授会との総団交開催23日の教職員抗議集会の決議に基づき、学長ならびに学部長代表が石井衆議院議長と会見。大学立法反対の請願書提出。  「学校権力の粉砕と学生の手による学園の再編」「実力闘争による中教審答申、大学立法粉砕」など宣言発表
5月28日 教職員組合は大学立法に反対する声明を発表   
6月4日 学生会中執が質問状提出  学生会中執は「6項目要求」を具体化し、大学当局の見解を正す質問状を提出
6月5日 この日に予定されていた「和泉地区総団交」を学校側が延期通告     
6月6日 緊急連合教授会開催後、「和泉地区総団交」開催 教授会では、同日の団交での大学側の見解、これまでの基本方針の確認と6項目の質問状に対する意見交換が行われた。 「学生諸君へ」を配布。 団交終了後、約100名の部隊が副学生部長室を封鎖・破壊。
6月7日 生田地区で「理事会・農学部教授会団交」  学生側は学長への権力集中がなされていると指摘
6月11日 新寮闘争委員会が堀切寮に強制入寮。学苑会と理事会団交    
6月11日 日大バリスト1周年行動に関連して 機動隊本館図書館に乱入し学生に乱暴  明大9号館で「バリケードスト1周年記念」集会を開いた日大全共闘の学生約1500名が集会後のデモで機動隊と衝突。  
6月11日 全共闘結成準備会開かれる。  和泉全共闘約300名が1号館事務室をバリケード封鎖。  
6月13日 農学部臨時学生大会開催  授業放棄を決議
6月14日 二部文学部学生大会開催、学苑会と理事会・連合教授会団交開催バリケード封鎖に対し、学長名で駿台文学会委員長あてに警告  学生大会でスト権を確立。本校5号館をバリケード封鎖
6月15日 反安保集会  べ平連、市民団体、反戦青年委、反代々木系学生が日比谷野外音楽堂で集会後、デモ。明大から500名参加。
6月17日 学生会臨時学生大会開催しスト権確立   中執の提案した「中教審・大学立法粉砕、六項目要求貫徹にむけての全学ストライキ」案を賛成377、反対208、保留23、棄権10で可決。約3000名参加。 「学生科学者集団」が大学院をバリ封鎖。農学部第1号校舎をバリ封鎖。
6月18日 学苑会と理事会・連合教授会団交開催大学側は5号館、大学院がバリストに突入するに及んだ問題を重視し、授業を全部休講とし、 すべての学生が「話し合い」に参加するようにと、学長告示を出す。   
6月19日 短大校舎バリ封鎖   
6月20日 工学部校舎バリ封鎖   
6月21日 全学共闘会議結成
バリストに対するコメント
私立大学教職員連絡会議の大学立法反対デモに大学から200名参加。「大学の当面する情勢とそれに対する方針」を討議する教職員集会が開かれる。  17日の学生大会で確立されたスト権の行使を全面的に委任される主体としての全共闘が結成され、無期限バリケードストに突入
6月23日 二部政経駿台会学生大会開催   全共闘は大学立法、学内諸問題についての大衆団交を要請。二部政経駿台学会学生大会で無期限ストを決議
6月24日 体育会主催公開討論会開催  学生会・学苑会中執の代表も加わり、意見交換。500名参加。
6月25日 明大全共闘が大学立法反対デモ  全共闘は記念館で集会を開いた後、八重洲ー数寄屋橋ー日比谷公園と街頭デモを行った。参加者約1000名。サークル連合闘争委員会が4号館をバリ封鎖
6月26日 全二部総決起集会開催。民青系大学立法反対デモ  全二部共闘会議結成準備会発足。全明クラス連合準備会主催の「大学立法反対・全学バリケード封鎖反対」集会が開かれ、体育会有志も加わりデモ行進。
6月27日 全都全共闘集会開催。連合教授会開催。 教授会では、バリストについて違法性が強いとし、全共闘を運動体とみなして確約や文書交換については中執と行うという見解を報告。  明治公園で全都全共闘主催の大学立法粉砕集会が開催され、明大から約1000名が参加。明大全共闘福田代表 が挨拶。
6月30日 駿台文学会臨時学生大会開催  学生大会で無期限バリストを採択
7月1日 学生会中執役員改選大学4者連合(大学、教職組、専教連、職員会)は「大学立法反対」を掲げて国会請願デモ。民主化行動委員会(民青系)も参加。  学生会中執役員改選により両川委員長を選出
7月3日 全学共闘会議と連合教授会の封鎖後初の団交。約5千名参加。論点は全共闘承認問題にしぼられたが、平行線をたどる。学校側は@全共闘と中執の関係が不明確である。 中執は全学生が加入している学生会の代表機関であり、全共闘は任意加入団体であるA従って全共闘との話し合いには応ずるが、最終的な調印などは中執と行う、と表明。 バリケードストについては、大学立法に反対するバリケードというが、教育・研究活動を阻害していることは不当。研究・教育の場では理性を持って行動する必要がある。大学立法には大学としても反対と主張。 学生側は@全共闘は学生大会において全権限を委譲された唯一の学生組織であり、これを認めないのは学生自治に関する干渉であり、弾圧である。A交渉団体が最終的な調印をするのが当然である、と主張。 バリストについては、@大学立法は支配階級が行っている反動攻勢の一環であり、断固阻止せねばならないA大学はバリストに至る経緯。本質を理解していないB国家権力に対する大学の態度が不明確である C大学のいういわゆる「理性的」抗議は効果がない、と主張。
7月5日 学校側は、新寮闘争委との9月の話し合いを延期する旨回答大学側は新寮闘争委の回答書への中で、全共闘あるいは学生会中執・学苑会中執との関係が明らかにされるまで、団交を延期すると述べる。      
7月6日 和泉校舎で社学同が内ゲバ    社学同関西派100名と関東派50名が内ゲバ。
7月7日 学校側が学生会中執へ質問状学校側は11日の団交をより効果的にするため、@6月17日の学生大会で委譲された権限事項の具体的内容 A「全学共闘会議」の規約、その構成、性格及び運営方法B「全学共闘会議」と学生会との今後の関係、について学生会中執に回答を求める。  学生側は、文書での回答を求める大学側に答える必要はない、としながらも口頭回答を行い、闘争に関しては全共闘が一切責任を持つ旨明らかにする。
7月9日 新寮闘争委員会は大学本部のある天下堂ビルへ押しかけ団交開催を要求  新寮闘争委員会は天下堂ビルをバリケード封鎖
7月10日 新寮闘争委員会と大学側の団交開催大学側は、学生側が寮問題に関して話し合いを申し入れる時は、これに応ずる旨の確約書を取り交わす。  学生側は@天下堂ビル事務室封鎖の異常事態発生原因は大学側に責任があるA9日の状態を見ても学生部は学生と大学のパイプの役目であるといいながら機能していないので廃止すべきである。 B堀切寮のガス・水道・電気<を止めているのは、学生自治への弾圧であるC自治権を認めるといいながら4条件を出してきたのは学生自治への介入である、と主張。
7月10日 全都全共闘総決起集会。大学立法反対教職員デモ。大学教職員150名が国会請願デモ。  早大で都内約30大学の全共闘が参加した全都全共闘総決起集会が開かれ、4200名が参加。明大全共闘からは200名が参加し、福田全共闘代表が挨拶。
7月10日 大学側、警察を告発4月12日の学館への機動隊乱入・不当逮捕に関して神田警察署長、警視庁第1・4・5・7各機動隊長、機動隊員22名を告発。   
7月11日 全共闘と大学側の団交に約2千参加。@「全学共闘会議」についてA学生部についてB大学の自治についての話し合いが行われたが、大学側 と学生側の見解と主張は3日の場合と同様で進展は見られず。   
7月11日 全二部共闘会議結成大会開催  共闘会議本間議長を選出。スト権を確立。
7月16日 大学改革準備委員会が発足    
7月17〜19日 バリ祭  「大日本欠陥大学改造法案」創出のために、と銘打ったバリ祭が本校地区で行われる。
7月18日 大学院生が「大学立法反対」の初の国会請願デモ    
7月21日 法教授会弾劾集会開かれる大学側は再度団交を持ち、その間卒試を行わない旨確約  全共闘は法原級未卒者の卒業試験を阻止
7月25日 全都全共闘主催「大学立法強行採決抗議集会」開催  全都全共闘約3000名が明治公園で集会。明大から200名参加。
7月26日 全都全共闘主催「大学立法・入管法反対緊急集会」開催  反代々木系全学連各派と全共闘約1300名が明大記念館で集会。集会後の無届デモで57名逮捕。
7月30日 法学部教授会団交開催5年生卒業試験についてはものわかれ  記念館前で全都二部学生集会開催。「全国全共闘」の初の代表者会議が和泉校舎で開かれる。
8月3日 自民党は参議院で大学臨時措置法案を強行採決  「大学立法」強行採決に抗議して全国各地で連日抗議集会・デモが続く
8月4日 各地で「大学立法」強行採決抗議集会  明治公園で反代々木系抗議集会。明大から100名参加。
8月6日 大学法に対する学長の声明を発表学長は「大学問題の自主的解決に努力し、大学法を改廃する報告で努力する。」との声明を発表。 法学部教授会は7月31日の団交で確約した「大学法に対する法学部教授会の見解」を発表    
8月7日 経営改革専門委員会が発足委員長に木村文学部長  改革委(準)は学生の分断工作で大学立法の具体化と反発
8月9日 「最近の学内状況について」のパンフレットを父兄に郵送   
8月17日 大学臨時措置法案が施行  全都全共闘主催の「大学立法反対、施行弾劾、適用粉砕集会」が日比谷野外音楽堂で開催。明大から150名参加。各闘争委員会による自主講座・講演会活発になる。
8月20日 法学部教授会は5年生の卒業試験をリポートに切り替える未卒業者315名中234名がリポート試験で卒業  9月中旬に団交を設定して追求の構え
8月25日 全二部共闘会議総括集会  全明全共闘の創出を提案
8月28日 大学改革準備委員会の全体会議が始まる  「一部全共闘代表者会議、一部総括集会開催
8月29日 全明全共闘結成準備会が発足  一部から横谷代表者会議議長、二部から本間議長が代表として一二部の折衝を続けていくことで意見一致
8月31日 全明全共闘結成準備会開催  各部闘争委員会2名(経営学部は1名)、一部全共闘2名、二部全共闘2名の「学部別書記局」を作ることを決定 。社学同は中央書記局体制をとるべきであるとの見解を示す。
9月2日 体育会が学生部長に質問状体育会の質問状は@学生会費配分停止及び学割発行など学生に対するサービス業務を停止するに至った理由 A大学事務局の学外疎開をはじめとする一連の管理放棄の理由B他大学の闘争の拠点として本学を提供する必要があるのかC紛争中にもかかわらず夏休みを学年暦どおりに行った理由の4項目   
9月3日 全明全共闘結成大会流会  ML派は学部別書記局の代表者13名を召集し代表者会議を開催。全明全共闘結成大会は社学同を除く3派(ML派、反帝学評、中核派)が運動、組織論で反発し参加せず流会に
9月4日 各派集会開催  和泉校舎で全国解放戦線大会(ML派)開催。明大から60名参加。記念館で第2回国際反帝集会開催。100名参加。
9月5日 全国全共闘結成大会開催  全国全共闘結成大会が日比谷野外音楽堂で開催され、全国46大学11000名参加。明大から300名が参加。明大の隊列に紛れていた山本全国全共闘議長が逮捕される。
9月9日 学生部長が2日付の体育会の質問状に口頭で回答松田学生部長は渡辺体育会本部委員長と面談のうえ、2日付の体育会の質問状に対し、口頭で大学側の見解を説明  要旨は@中大全中闘、青学大全共闘は本館より場所を移動A全共闘がスト権を行使、本館は共同で管理する旨確認。
9月10日 体育会と全共闘が確認書を交換  体育会と中大全中闘、青学大全共闘が確約書を取り交わす。9月17日までに本学本館から場所を移すとの確約。 他セクトは社学同のボス交と批判。
9月13日 助手共闘会議「われわれの態度表明」を発表  態度表明の要旨は@日常的営為において根源的発想による意義・位置づけの欠落Aわれわれの提起した問題に自己批判的に回答し、新大学の創造保障なき時は非暴力的態度を堅持する
9月13日 全明全共闘結成大会  全明全共闘結成大会が記念館で200名が参加して開催。関口議長が就任。
ML派と中核派が主力でノンセクトの参加は少なかった。 社学同と反帝学評は参加せず。
9月16日 生田地区の助手共闘主催「全明討論集会」開催  討論は@自主改革路線をどう克服するかA安保・沖縄闘争と大学闘争B9月以降の具体的行動C全明全共闘結成に向けての4項目を軸に展開。 小西商学部教授は「自主改革は表面でブルジュア民主主義を装い、現実はファシズム以外の何者でもない」と指摘
9月17日 大学改革準備委員会開催大学改革準備委員会は対策本部会と合同会議を持ち、中間草案ともいうべき改革案を配布し討論を行う   
9月24日 八幡山グラウンドで開催予定の全教職員集会は雨と学生の阻止行動で中止 対策本部会は雨のためこの日の集会を中止するとともに@当分この種の集会は中止する A学長の所信表明を郵送するB教授会を開き教員に説明することなどを決める。 各闘争委員会、各派250名は和泉校舎に泊り込み阻止行動に備えるが中止決定後、集会を開き解散。各派、ノンセクトとも別々に集会を開催するなど分裂傾向が強まる。
9月28日 全明討論会開催  院生・助手共闘主催。200名参加。
9月30日 日大法・経奪還闘争  記念館で日大全共闘・全都全共闘連合約3000名が集会。駿河台周辺でゲリラ戦。355名逮捕。
10月1日 新学期をむかえる大学側は新聞に「後期」授業の開始はできない旨の広告を掲載。前日の日大法・経奪還闘争で学内の全共闘系学生が少数になったため、 大学側は学術用図書の盗難防止を理由に、一時大学院校舎の管理措置を取る。10月4日に八幡山グラウンドで「全学集会」開催を決定。  本校地区では、全明総決起集会が11号館商業室で、法学部決起集会が10号館で開かれる。また、生田地区では工農討論集会が開かれる。体育会は「明大本館構内暫定管理者」名で、正門通用口閉鎖の理由と学生・教職員に裏の旧生協書籍部と師弟食堂入口の2ヶ所から出入りを求める旨の文書を正門に掲示。
10月2日 体育会の質問状に松田学生部長が口頭で回答渡辺体育会委員長と松田学生部長との会見では@学生部の役割・権限について A学生会費支払い停止についてB助成金の下付についてC本学校舎内を占拠する他大学生の措置について、の4項目にわたって質疑が行われた。   
10月2日 民青系総決起集会  民青系学生総決起集会。100名が参加。自主的封鎖解除を決議。
10月4日 全学集会は全共闘の阻止行動で流会教職員による検問、機動隊の配備の中、八幡山グラウンドに一般学生8000名が参加。学長が所信表明を読み上げようとする瞬間に全共闘系学生が演壇を占拠。大学側は混乱を理由に中止を宣言。「明治大学全学集会にあたって」を配布。  全共闘は和泉校舎に500名が集まり、総決起集会後、会場に向かう。壇上占拠を合図にグラウンドに入りデモ。
10月6日       「全学集会の経過」を学生に郵送        
10月7日 体育会主催の第二回公開討論会開催  全明全共闘、全二部共闘会議長代理が出席し、全学集会、全共闘問題、他大学生の本学使用に関する問題を討議
10月8日 全国全共闘連合集会  全国全共闘連合は、日比谷野外音楽堂で「安保粉砕・沖縄闘争勝利・佐藤訪米実力阻止中央政治集会」を開催。1500名参加。
10月9日 「機動隊が導入され、全学の封鎖を解除。ただちにロックアウトの措置が取られる。午前6時半、全学を封鎖している全共闘系学生に対して学長名の退去命令が出された後、 機動隊が導入される。当局は午前7時の封鎖解除完了と同時に全学をロックアウト。学長は記者会見でこの理由として@社会的責任A学園の荒廃B入試。卒論C在学生の単位のリミットなどをあげる  全共闘がバリケード死守。決死隊7名が大学院に立てこもり、火炎瓶・投石で抵抗したが、午前7時過ぎに全員逮捕。学生200名が「駿河台本校前を「ロックアウト粉砕」のデモ。
10月10日 10・10集会  べ平連、全国反戦、全国全共闘、反代々木系各派による「ベトナム反戦・安保粉砕・沖縄闘争勝利・佐藤訪米阻止」集会が明治公園で開催。2万人を超える参加者が会場を埋め尽くす。明大全共闘2000名も参加。
10月11日 生田地区でロックアウトへの抗議行動        生田地区で学生が4号館に激しい投石を行い、有刺鉄線を切断。 
10月12日 生田地区でロックアウトへの抗議行動       生田地区で学生が有刺鉄線を切断。校舎に侵入。 
10月13日 生田地区機動隊導入。 ロックアウト抗議行動に対し警察の出動を要請。また、各寮自治会委員長あてに「警告文」を出す。      学生3名が逮捕。   
10月14日 生田地区でロックアウトへの抗議行動  高木工学部長が警告      学生20〜30名が4号館に激しい投石。      
10月21日 10.21国際反戦デー  新宿、高田馬場などで反代々木系各派、反戦青年委員会が新宿を中心にゲリラ戦。
10月28日       「最近の学内状況について(5)」を学生に郵送        
11月6日 全国全共闘連合集会  全国全共闘連合は、日比谷野外音楽堂で「佐藤訪米阻止総決起集会」を開催。3000名参加。
11月11日 学長名で 「授業再開について」配布この中で大学側は11月18日以降、順次授業再開を表明。当分の間、授業再開に反対する妨害行為の発生が考えられるため、 入構制限などの措置を講じ、部分的な授業再開となると説明。   
11月16日 佐藤訪米阻止闘争  蒲田、品川などで反代々木系各派、反戦青年委員会がゲリラ戦。1600名余逮捕。
11月18日 授業再開ロックアウト体制下での授業再開となる。正門に検問所。学生会館はベニヤ板で封鎖。夜8時で正門が閉じられる。大学側は告示を掲示。内容は@出入り口での学生証の確認A夜間の構内立入禁止B学館立入禁止Cヘルメット、マイクの持込禁止 D封鎖、占拠、授業妨害などがあった場合、ただちに警察力の出動を要請 和泉地区で学生側は連日、ロックアウト粉砕集会を開催し、強行的に検問突破、丸太・ゲバ棒での検問所破壊の闘いを続ける。 また、学生側は検問所突破と平行して、約50名の部隊で丸太5〜6本を抱え、学生会館に突入。学校側はベニヤ板を張ったり、鉄条網を張って対抗したが、学生側の連日の攻撃により、学生会館は事実上、学生側の自主管理となった。
11月29日 和泉校舎で有志連合・全明クラ連主催全学集会が開催されるが学生大会移行ならず  全共闘系学生100名は和泉地区でロックアウト体制粉砕の「全明総決起集会」開催したが、体育会系学生が集会を実力排除。「全学集会」の学生大会移行は参加者の反対でならず。「スト権解除」を学生会中執に要求する決議を採択。
12月1日 全学部で授業再開検問体制を緩和。学生の自由な立入を認める。          
12月14日 全国全共闘連合集会  全国全共闘連合主催の「糟谷君虐殺抗議人民葬」が日比谷野外音楽堂で開催。3300名参加。この集会に参加しようとした革マル派と他セクトが公園内で大規模衝突。187名逮捕。
12月17日 明大全共闘全明政治集会開催(和泉)  「混乱」を理由に休講措置 封鎖された正門を実力開放し、約800人が集会
12月19日 全国全共闘連合第2回大会開催  全国全共闘連合第2回大会が日比谷野外音楽堂で開催。3000名参加。二部共闘の本間晟豪議長が挨拶。


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