●学生会館今昔(1970−2007)

 このホームページ作成にあたって、明治大学学生会館が現在どのような状況なのか知るために駿河台本校と和泉校舎に行ってきた。

  駿河台本校
 2007年3月、まだ桜は咲いていないが穏やかな春の陽気の中、御茶ノ水駅に降り立った。

改札を出ると斜め前に交番がある。

右手を見ると東京医科歯科大学(MD)の建物が見える。建物は新しくなっているが、ここまでは当時のイメージと変わらない。
明治大学方向に向かうと、道の両側にはカラオケ店や漫画喫茶、音楽関係の店などが並んでいる。当時あった「丘」や「田園」といった喫茶店も、「味一番」という中華料理店もない。

前方右手にリバティータワーが見える。交差点の角でしばし立ち止まる。ここは8号館のあった場所である。今は民間のビルが建ち、1階が洋服店となっている。

  交差点を渡り水道橋方面の道を歩くと、左手にはアカデミーコモンというガラス張りの新しい建物が見える。右手には昔からの11号館があるが 、駿河台学生会館のあった場所には小さな待合室のような建物がひっそりと建っているだけである。

  角を左に曲がり山の上ホテルの前に来る。このあたりの風景は当時とさほど変わらない。坂の上から見る10号館は当時のままだ。

突き当たりに明治大学の案内看板がある。案内看板を見ると、11号館の隣に学生会館があることになっている。あの待合室が学生会館か?

リバティータワーを見上げながら明大前の通りへ坂を下る。
  昔、4号館があった場所には大学会館建っている。入り口では警備員が目を光らせている。

 明大前の通りを右に向かい、最後に記念館のあった場所に出る。現在はリバティータワーとなり、建物の前にオープンスペースが広くとられている。

駿河台校舎はずいぶん近代的になった、というのがこの日の実感だったが、駿河台学生会館も8号館も4号館もない駿河台校舎は私には疎遠なものに思われた。


和泉校舎
2007年5月、早朝から雨模様。天気予報では午後から本降りとなると言っていたが、和泉校舎へ行く日はこの日しかないので家を出る。
せっかくなので、昔、和泉校舎へ通っていた交通経路で行くことにする。JR山手線を渋谷駅で降り、井の頭線に乗り換える。ここを通るのは何年ぶりだろうか。
渋谷駅からは思ったより早く明大前に着いた。もっと時間がかかったような記憶があるが、電車が当時より早くなったのかな?
明大前の駅も新しくなっている。改札を出て和泉校舎に行こうとすると、いきなり甲州街道が見える。再開発で真直ぐな道ができていたのだ!

 昔は駅前からちょっと横にそれる感じで脇道を通って甲州街道に出て横断歩道を渡って、和泉校舎に行っていたものだが、いきなりストレートに行けるとはビックリ。
 大学を卒業したのが1973年。それ以来、来ていないので34年の歳月をいやおうなく感じさせられることに。
昔のイメージと全然違うので、歩きながらも「本当にここでいいのか」と自問しながら甲州街道に辿り着く。
甲州街道の上は中央高速が走っている。「昔はなかったな」と思いながら横断歩道を渡る。和泉校舎の正門前に来ると、何となく狭いような気がする。 「こんなに狭いところでビラ配りや集会などやっていたのかな?」と思ったが、後で当時の明治大学新聞を見ると、確かに狭いところでビラ配りをしている。

 「和泉校舎はどんなふうに変わってしまったのか」と思いながら正門から中に入ると右手に図書館がある。これは当時と変わらない。

左手には和泉メディア館という大きな建物が建っている。当時、1号館があったところだ。

 中庭を目指して歩く。校舎内の木々がこんなに大きかったかと思うくらい生い茂っている。(まあ34年も経てば大きくなりますよね。)
 左手に見慣れた校舎が・・。2号館である。文連の映画会などを開催した建物だ。

学館方面へ歩を向けると、「あった!」と思わず心の中で叫んでしまった。
和泉学生会館が現在も使われているのだ。耐震補強がされていたが、まさしく学生会館である。(築40年になる。)

案内看板によると、和泉校舎での位置づけは第2学生会館となっている。

和泉学生会館の隣にあった木造2階建ての旧学生会館は、さすがになかったが、和泉学生会館がまだ現役とはうれしかった。
小雨が降りしきる和泉学生会館の前で学生会館運営委員会室を眺めながら、私の心は時を越えて34年前にタイムスリップしていた。


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