●時代の証言者たち
獄中寄稿「嗚呼!!任侠ボルシェビキ」
月刊誌「実話時代」に掲載された「よど号」ハイジャック・メンバーの1人である赤軍派の故田中義三氏の獄中からの寄稿記事である。
2002年4月号から7月号及び2003年4月号に掲載された。
獄中での任侠界の人たちとの出会いと交流を軸に、「たとえ社会の正道なるものからはずれても法なるものを犯すことがあっても、
人間としての道に逆く非道は歩まず」という田中氏の信念が語られている。
また、当時の社学同、赤軍派の様子やハイジャックについても語られている。
この記事の掲載にあたっては、明大U部のK氏からご協力をいただいた。また、「実話時代」編集長W氏から記事掲載の了解を得ている。
「最高裁判決を受けて」重信房子
重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」第100号(2010.7.18)に掲載された文書である。
2010年7月末、東京拘置所に面会に行った折、このホームページやブログ「野次馬雑記」の読者へのメッセージをお願いしたところ、この文書を掲載して欲しいと依頼された。
この文章は、7月16日に出された最高裁の上告棄却の決定を受けて書かれたものである。
なお、公開した文書は「オリーブの樹」第100号に掲載された文書の誤字・脱字を修正し補足した訂正版である。
この文書の掲載にあたっては、元明大のO氏からご協力をいただいた。
「もっぷる通信特別号 3・31人民集会特集」(1972年4月20日)
1972年3月31日、日本赤色救援会・HJ(ハイジャック)裁判闘争支援委・大菩薩破防法裁判闘争支援委の主催で開催された集会の記録である。
本来なら赤軍派による「よど号」ハイジャック闘争2周年の集会となるところ、直前に起きた連合赤軍による浅間山荘銃撃戦、そして総括による14名の連赤メンバーの死を受けた追悼集会となった。
銃撃戦と連赤メンバーの死という衝撃的な事実を受けて、赤軍派と革命左派がどのように受け止めたのか、生々しく語られる。
銃撃戦から40年、連合赤軍を検証する重要な資料の一つとして全文公開することとした。
なお、この冊子の掲載にあたっては、元明大学苑会委員長N氏からご協力をいただいた。
シンポジウム「浅間山荘から40年 当事者が語る連合赤軍」
2012年5月13日、「連合赤軍事件の全体像を残す会」主催によるシンポジウム「浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍」が開かれた。
連赤事件は一部の党派の問題ではなく、当時の運動が抱えていた負の部分、「運動の極北の地平」とも言えるものを私たちに示したのであり、それを検証し考えることが、今も必要と思われる。
また、この集会でも連赤事件が過去のことではなく、現在につながっているという発言が多くあった。
そこで、シンポジウムの第1部での開催挨拶と、第2部「当事者世代が語る」での発言をこのコーナーで掲載することにした。
なお、発言が聞き取れなかった部分は省略しているので、発言の全体を知りたい方や第3部、第4部の発言を知りたい方は、
「連合赤軍事件の全体像を残す会」発行の「証言10号」(2012.7発行)をご覧いただきたい。
<シンポジウムの概要>
○パンフレット
主催:連合赤軍事件の全体像を残す会
日時:2012年5月13日(日) 午後1時30分〜6時30分
会場:目黒区民センター
司 会:金 廣志 椎野礼仁
当事者:植垣康博、青砥幹夫、雪野建作、前沢虎義
第1部 「映像でふりかえる」
当時の資料映像で構成(制作:馬込伸吾)
第2部 「当事者世代が語る」
●ゲストパネリスト
塩見孝也、三上治、鈴木邦男
第3部 「連合赤軍事件が残したもの」
●ゲストパネリスト
森達也、田原牧、大津卓滋
第4部 「若い世代にとっての連合赤軍」
●ゲストパネリスト
雨宮処凛、山本直樹、ウダタカキ、小林哲夫、赤岩友香