●明大闘争の記録 -関係者の手記-


 ホームページやブログ「野次馬雑記」には、様々な方々から資料や記事の提供をいただいている。
その中には明大闘争への関わりなどを書いた手記もある。
私もホームページの「エピソード」で「あの時代」のことを書いているが、あくまでも私の個人史でしかない。
「あの時代」を伴に過ごした方々の様々な「体験」や「記憶」が集ることにより、ジグソーパズルが完成するように、初めて闘争の全体像が見えてくると思う。
そこで、「記憶を記録する」場として、このコーナーを新たに設けることにした。
今後、多くの関係者の手記や投稿などをこの場で公開できればと思う。

  <INDEX>
 1.御茶ノ水讃歌(石川 彰) 

 2.『南米コスタリカへの道』明大生田Y氏からのメール   


  更新日:2011.9.2

  リンク:エピソード1969
      エピソード1970
      エピソード1971
      エピソード1972
      アジビラ
       新左翼党派機関紙・冊子
      1968−69全国学園闘争「図書館」


御茶ノ水讃歌 (石川 彰) 

1971年明大U部学苑会の委員長だったN氏から、ある冊子を預かった。
タイトルは「御茶ノ水讃歌」。230ページにも及ぶ自費出版の冊子である。
著者は石川彰氏。
石川氏は1970年6月にU部学苑会にノンセクト執行部が誕生した時の組織部長であり、1968年4月から1972年3月までの 、明大U部における4年間の活動を回想してこの冊子に書いている。
この冊子は、石川氏の個人的な回想録でもあるが、当時の明大における闘争の記録でもある。
この冊子は50部程しか作られなかったようだが、このまま少数の関係者だけにしか知られず、時の流れの中に忘れ去られてしまうのはいかにも惜しい。
あの時代、闘争に関わった多くの方の想いや証言を私のホームページで紹介したいと思っていたので、スキャナーで全文を読み込み編集して 、私のホームページで公開することにした。
公開にあたっては、N氏を通じて石川氏の了解を得ている。
本はT部とU部で構成されているが、全文を一度に公開できないため、4パーツの分け、順次公開することにした。
冊子では登場人物は実名で書かれているが、40年以上も前のことなので、原文のまま掲載することにした。
なお、第2部で1971年のU部学園祭の話が出てくるので、参考として学園祭パンフレットを掲載した。


第1部 1968年4月 〜 1969年6月

第1部 1969年6月 〜 1969年12月

第2部 1970年1月 〜1970年11月

第2部 1970年12月 〜 1972年3月

<参考> 1971年 U部学園祭パンフレット




『南米コスタリカへの道』明大生田Y氏からのメール 

ブログ「野次馬雑記」に2011年1月から7月まで、8回に分けて連載した記事をまとめたものである。
ブログに記事を掲載することになったきっかけは、南米コスタリカに渡った明大生田Y氏から生田の方々へ送られた便りをブログに掲載しようと思い立ったことだった。
ブログへの掲載にあたり、Y氏がコスタリカに渡ることになった背景を知ることが必要と考え、私から以下の4点の質問をさせていただいた。
1 明大の海外移住研究会ではどんな活動をされていましたか?
2 当時、地下足袋を履いて校舎の裏の空き地を耕していたそうですが、どんな想いからですか?
3 都の農業試験場に入って、農業研究(?)を通して何か見えてきたものはありますか?
4 コスタリカに行くきっかけのようなものを教えてください。
しばらくして、地球の反対側のコスタリカから長文のメールが届いた。
メールはY氏の個人史ともいえる内容であり、当時の生田での活動から農業試験場での研究、コスタリカに行くことになった経緯などが書かれていた。
ブログで分割して公開してきたが、このコーナーでまとめて紹介することにした。
※ Y氏からはダンボール3箱分の資料を寄贈していただいた。感謝!!

【Y氏のプロフィール】
『1966年明大農学部入学。あまたの活動家を輩出し、生田の松下村塾といわれた海外移住研究会で活動。 都農業試験所に入り、志願して伊豆大島や三宅島などの「島勤務」などを行う。当時の資料や雑誌をYさんに託し、2010年JICAでコスタリニカへ。』


1 明大の海外移住研究会ではどんな活動をされていましたか?

2 当時、地下足袋を履いて校舎の裏の空き地を耕していたそうですが、どんな想いからですか?

3 都の農業試験場に入って、農業研究(?)を通して何か見えてきたものはありますか?

4 コスタリカに行くきっかけのようなものを教えてください。

コスタリカだより




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