最近、1970年という年が気になってきました。
別の言い方をすれば70年前後の年へのこだわりが捨てきれない自分を発見したということかもしれません。
全共闘運動や学生運動に関わった人たちも大学を卒業すると、多くの人たちは社会の中に
それぞれ自分の場所を見つけ出して、運動とは関わりのない生活を送ってきたと思います。
私もその中の一人ではありますが、日常の風景の中に埋没して生きてきたとしても、
当時の気持ちや、あの時代へのこだわりだけは忘れずに過ごしてきたつもりです。
あれから37年、捨てきれずに手元に置いてきた明治大学の全共闘運動や学館(学生会館)闘争、文連(文化部連合会)の関係資料
をデジタル化して整理しようと思い立った時、これらの資料を
個人の想い出だけにせず、広く公表することによって、あの時代、明治大学で何があったのか、
多くの人たちに知ってもらう必要があるのではないかという考えが私の心を強く動かしました。
明治大学のホームページを見ると、明治大学の歴史の中で当時のことは
「1960年代ころより学内の質的な改革が叫ばれるようになった。例えば専教連改革、学費問題、
あるいは全共闘運動等々である。」としか書かれていません。
あの時代を体験していない人たちには、これでは当時何があったのか、想像すらできないでしょう。
そのため、当時の全共闘運動や学館闘争の様子を知るための何らかの手がかりを提供する意味を含めて、
このホームページを作成しました。
公表する資料は当時のアジビラや明治大学新聞の記事、大学のお知らせなどです。当時は私のように学生運動に関わった者だけでなく、関わりを持たなかった人たち、
また、批判的な人たちとさまざまな考えを持った人たちがいたことも事実です。
そのため、資料として学生側の主張だけでなく、明治大学新聞や大学のお知らせなどを紹介することにより、なるべく
事実関係を多角的に見てもらおうと考えました。(資料に偏りがあるのはご容赦ください。)
また、資料を補完するため、明治大学新聞や私の個人的ノートを参考にして
1969年から1972年までの安保闘争や学内での出来事などを年表としてまとめました。
あわせて、当時の私の個人的な体験をエピソードという形で書かせていただきました。
エピソードの中で使用している写真は明治大学新聞や大学祭パンフレットに掲載されたものを中心に、私が所有している写真もいくつか掲載しています。
また、文連のS君から提供を受けた写真もあります。
なにせ30数年の年月が経っていることもあり、事実関係が誤っているところもあるかもしれません。その辺はご容赦ください。
<私の大学時代の経歴>
○1969
明治大学商学部入学
学生会館運営委員会に参加
414B統一戦線(ノンセクト)の一員として明大全共闘に加わる。
○1970
機動隊導入・ロックアウト後は和泉・駿河台学生会館のロックアウト体制解除に向けた活動を行う。
○1971
文化サークル連絡会議に参加
72年度文化部連合会執行部に選出
○1972
第91回駿台祭実行委員会に参加
○1973
卒業